22日目:キレイな水しぶきあげられるかな☆彡
中島輝さんの
『エマソン 自分を信じぬく100の言葉』より
~今日向き合ってみる言葉~
『水のように生きれば、
どこへでも流れて行ける。』
~自分に矢印を向けて考える~
常にこの言葉のように生きることは大切。
確かにその通りだろうと思う。
では、水のように生きることが求められるときってどんなときなんだろうか。
人は生きていれば、留まることなく流れていくのが難しいときがある。
例えば、
目の前の壁を越えることが難しいと感じているとき。
できないことに囚われて、先行きに不安を感じているとき。
感情に支配されて我を見失うとき。
などではないだろうか。
そんなときは、きっと水のように流れることを忘れている。
でも、そんなときこそ水のように流れることが求められるのだと思う。
では、どうすればいいのか。
流れを変える大きな岩が目の前に迫っている状況を
水になったつもりで
どのように捉えられるか、2パターン想像してみた。
1つ目は、
「ぶつかる!危ない!岩だ!どうしよう!」と流れが変わったことを岩のせいにする。そして、「あの岩さえ無ければこんな風に流れが変わることもなかったのに・・・」と、流れの変化を受け入れられず岩をうらめしげに見つめながら流れている状態。
人間なら、周りの誰かや環境のせいにして、前に進めない状態。
2つ目は、
ぶつかった瞬間、きれいにしぶきが上がった状況を、今までの流れと同様に楽しむことができる。そして、太陽の光に照らされてキラキラしているのを「どうだ、きれいだろう?」と、むしろ誇らしげに舞い上がり、また何もなかったかのように流れに戻る状態。
人間なら、今の状況をどう捉えるのかをしっかり見極めて、自分を見失わずにいられる状態。
むしろ、課題をギフトとして捉え、「またこれで成長できる!」「頑張っている自分が最高にかっこいい!」などと思える状態。
当然、2つ目が理想だと思う。
大切なことは、
目の前の出来事を自分はどのように捉えるのかということ。
これから先の人生も、出来事に感情が振り回されるのではなく、出来事に対して湧き出てくる感情を楽しみながら進んでいきたいと思う。
ではまた(^^♪