10日目:「八風吹けども動ぜず、天辺の月」
中島輝さんの
『自己肯定感の教科書』より
<「八風吹けども動ぜず、天辺の月」という禅の言葉>について
~自分なりのまとめ~
ここでいう八風は心の中にある煩悩の風。
「四順」(しじゅん)と「四違」(しい)に分けられる。
「四順」はこういう風が吹いたらいいな。
・利(りこ)⇒自分だけはと願う心
・誉(ほまれ)⇒褒められたいと願う心
・称(たたえ)⇒称賛されたい心
・楽(たのしみ)⇒楽をしたい心
「四違」はこういう風は吹かないでくれ。
・衰(おとろえ)⇒気力、人生の衰えた姿
・毀(けなし)⇒批判され、けなされる姿
・譏(そしり)⇒そしられる姿
・苦(くるしみ)⇒人生の苦境にさらされる姿
「八風吹けども動ぜず、天辺の月」は、
こうした風に吹かれても空に浮かぶ月のように
動じない心を持とうという教え。
これが、自己受容感が高まった状態を
見事に言い表している。
自己受容感は自分のネガティブな面も
ポジティブな面もあるがままに認められる感覚。
~気づき~
初めて聞くし、後半漢字がチョー難しいので
何回も読んでようやく理解できました(笑)
落ち着いて見直すと、どれも経験あり。
楽したいし、
批判されたくないし、
自分は動じるときはあるなぁって。
でもこの言葉が生まれた背景には、
きっと誰もが煩悩の風に悩んでいた。
でも、動じている自分を何とかしたいって
考えて、考え抜いてこの言葉が
生まれたんだろうなって思う。
そう考えると、どの時代も人間は、
生き方とか在り方を必死に考える生き物
だったのかもしれないって思いました。
どの名言や教えも、
なぜ生まれたかを考えてみるのも面白いと感じた。
~ここからは自分に矢印~
今、自分は動じない心を手に入れたいって思っている。
「なんで?」👈(自分に質問を投げかけてみる)
・・・
「なんでだろう?・・・」
どんな事があろうと動じない心を持つ姿への憧れなのか。
動じている誰かをかっこ悪く見ている自分がいるのか。
だから、自分が動じていたらかっこ悪く見られると思い込んでいるのかな。
「八風吹けども動ぜず、天辺の月」って言うのは簡単でも行動に移すのは難しいのかなぁ。
「あっ、ネガティブな思考になってる!!」
いったんストップ!!
手に入れたいと思っているのではなくて、
手に入れなきゃいけないって無意識に思っているのかもしれない。
だから、ネガティブな思考になったのかな。
ここで、どうすれば動じない心に近づけるのかという考え方に切り替えてみる。
「ありのままの自分でOK!」
と自分に言ってみる。
誰かに批判されてもそんなことぐらいで自分の価値は変わらないと思うようにする。
「なんで?」って考えるとネガティブになりやすい。
「どうすれば?」って考えるとポジティブに具体的な発想が生まれやすい。
今回ネガティブな思考になってしまったのは、
自分に矢印の最初の「なんで?」が良くなかったのかな(笑)
これからは、自分に矢印は「どうすれば?」にしよう。
誰かとかかわる時にも「なんで?」よりも、
「どうすれば?」って聞き方を増やそう(>_<)
ではまた(^^♪